
出水神社について

熊本の守護と発展の象徴
出水神社では、肥後細川家の初代藤孝公、二代忠興公、三代忠利公、八代重賢公を主神とし、歴代の藩主ならびに玉姫(ガラシャ夫人)の十五柱を合祀しています。熊本の守護神、文武の神、産業の神様として、無病息災、商売繁盛や学業成就などのご利益があるとされています。
歴史と創建の背景
明治10年(1877年)の西南戦争により熊本城下は焼野ヶ原となりました。「出水神社」は、藩主の御霊を祀り御恩に報い、御恩徳によって戦いで荒んだ人々の身も心も一つに収め、人々を安心させ、人づくり、町づくりをとおして熊本の町の発展をさせたいとの旧藩主を敬い、慕っていた旧藩士たちの願いから、細川家に由緒深い水前寺成趣園を境内地として創建されました。
苦難を乗り越えた社殿
第二次世界大戦で神社の多くが焼失しましたが、一部の御神庫や神楽殿は旧社地に移され、仮の社殿が建てられました。昭和45年(1970年)に再建工事が始まり、昭和48年(1973年)に現在の社殿が完成しました。
肥後細川家の歩み
肥後細川家は清和源氏を源流に持ち、足利幕府管領・細川頼之公の弟である頼有公を始祖としています。初代藤孝公、二代忠興公、三代忠利公はそれぞれ武道、和歌、茶道、能楽に秀でており、八代目の重賢公は特に名君と称えられました。重賢公は藩校「時習館」や医学学校「再春館」を設立するなど、熊本の教育と医学の発展に貢献しました。