園内マップ

1.夏目漱石の句碑

「湧くからに流るるからに春の水」
水前寺成趣園の池には阿蘇の伏流水である清水が湧き出しています。各所の自噴を動的に捉え、陽光に輝く水を「春の水」と言い表し、流れる水の動き、リズムが生まれています。

「しめ縄や春の水湧く水前寺」
漱石は水前寺成趣園によく来ていたようです。園内にある出水神社の「しめ縄」を強調し、湧き水に感動しています。この碑の文字は、正岡子規に送った漱石の直箪によるものです。

「鼓うつや能楽堂の秋の水」
漱石は熊本で謡曲を習い覚え、観能をこよなく好んでいました。静かな中にポン、ポポポン、ポンと澄んだ音が気持ちよく響いてくるようです。

02.昭和天皇お手播きの松

昭和6年(1931) 11 月の熊本大演習行幸の際に植えられたものです。

03.震災復興鳥居

平成28年(2016年)の熊本地震により、正面参道にあった大鳥居は、揺れに耐えられず崩壊しました。そこに残されたのは二本の石柱だけでした。 復興への強い願いや、地震の記憶を風化させないために、その石柱を加工し、元の鳥居の姿のまま縮小・復元したものが、この鳥居です。

04.神水 長寿の水

この水は阿蘇火山系の伏流水で、古くから長寿の水と呼ばれて来ました。御祭神の細川忠興(三斎)公が”袈裟”と命名、愛蔵していた石水盤に湧き出ています。

05.光復の碑

昭和20年(1945年)の戦災により消失した社殿が昭和48年(1973年)に復元された記念碑として、肥後細川家17代細川護貞(もりさだ)公が建立しました。

06.出水神社

明治10年(1877年)、西南の役で熊本の街は焼け野が原となりました。旧熊本藩士たちは、藩主の御霊を祀り、御恩徳によって人心を安定させ、熊本の街を発展させようとの思いから、明治11年(1878年)、肥後細川家に縁の深い水前寺成趣園の地に社殿を創建しました。肥後細川家初代細川藤孝(幽斎)公ほか三柱を主祭神とし、歴代藩主とガラシャ(二代忠興公の妻)、あわせて十五柱が祀られています。水前寺成趣園は出水神社の所有・管理です。

07.五葉の松

肥後細川家の初代熊本藩主細川忠利公が大事に育て鑑賞していた盆栽の松です。

08.稲荷神社

京都伏見稲荷大社の御分霊を肥後細川家の8代熊本藩主斎茲(なりしげ)公が文化6年(1809年)に奉斎されました。五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、交通安全などの守護神とされています。

09.細川藤孝・忠利銅像

藤孝(幽斎)公は近世細川家初代として室町将軍家に始まり、信長、秀吉、家康に仕えた数少ない武人である一方、諸芸に通じた当代一の文化人でもありました。特に和歌については『古今伝授』の継承者となりました。

忠利公は肥後細川家の初代熊本藩主で水前寺成趣園の創設者です。剣豪宮本武蔵は寛永17年(1640年)に忠利公から熊本に招かれ、『五輪の書』などの兵法書を著しました。

10.流鏑馬の馬場

毎年春秋例大祭の奉納行事として流鏑馬が奉納されます。古くから伝わるこの行事は御祭神に縁りの深い武田流が奉仕、武者姿の射手が疾走する馬に跨り、標的に向かって矢を放つ勇壮な技です。約150メートルの間に3本の矢が的に向かって放たれます。

11.肥後六花ゾーン

肥後六花は肥後椿、肥後芍薬、肥後花菖蒲、肥後朝顔、肥後菊、肥後山茶花の6種の花の総称です。季節ごとに旬を迎える花々が咲き誇ります。

12.能楽殿

大名家の中でも細川家はとくに能楽を愛好していました。諸芸に秀でた藤孝(幽斎)公は、太鼓の名手であったといわれ、代々能を好み、記録や演目も数多く伝わっています。明治11年(1878年) 出水神社創建と同時に能楽殿も建立されましたが、昭和40年(1965年) に火災で焼失。現在の能楽殿は、昭和天皇御在位60年を記念し、昭和61年(1986年) に旧八代城主松井家より移築されたものです。

13.古今伝授の間

「古今伝授」とは古今和歌集の解釈などを師から弟子へ伝える口伝形式の教授法。幽斎公が智仁親王へ古今伝授した空間が「古今伝授の間」です。大正元年(1912)11月、細川家にゆかりのあるこの場所に復元され、昭和39年(1964)に熊本県の重要文化財に指定されました。

14.おやすみ処・展示館

冷暖房完備の休憩所です。成趣園や肥後六花に関する展示があります。 (イベント開催時は使用できない場合がございます)

15.正門入口

開門8:30〜閉門17:00
正門前には社有林で育った檜(ひのき)で造られた鳥居が皆様をお迎えします。

16.北門入口

開門9:30〜閉門16:00

歴史

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成趣園の四季