1632年〜
寛永9年(1632年)、肥後細川家の初代藩主細川忠利公は熊本において初代熊本藩主となりました。
忠利公は熊本城東南の地に、豊前(大分県中津市)から訪れていた住職・玄宅のために、一寺を設けて「水前寺」と名付けました。
さらに、忠利公が鷹狩りの際、この地の清水の湧き出る様子を殊の外お気に召され御茶屋を作事し、「水前寺御茶屋」と呼ばれるようになりました。
これが水前寺成趣園の始まりです。
1671年〜
二代目藩主細川光尚公、三代目藩主綱利公にわたり大規模な作庭が行われ、寛文11年(1671年)、桃山式の優美な回遊式庭園が完成し、「成趣園」と名付けられました。成趣園という名は陶淵明の詩『帰去来辞』に由来します。
1688年〜
華やかな元禄時代(1688~1704年)には東屋も多く設けられ、「成趣園十景」を選んで楽しまれました。
しかし、重賢公の代には宝暦の改革(1752年)により建物は酔月亭一つを残して撤去され、樹木も松だけの質素なものとなりました。
1869年〜現代
護久公の代には版籍奉還(1869年)により一時官有地となりましたが、明治11年(1878年)10月7日、成趣園を境内地として細川藤孝公・忠興公以下歴代藩主を祀る出水神社が創建され、今日に至ります。